インド旅行(デリー~ジャイプル編)第六話

 タイ国際航空のオフィスを出て、ガバメントショップに行き、約130ルピーでネパール製の宝石箱を買う。その後、疲れたのと荷物をホテルに預けていたため、Honey Guest Houseに戻ることに決めるが、途中、手相を見てもらっていたら、ある日本人に出会い、彼と一緒に、ニュー・デリー駅へジャイプル行きのリザベーションを取りに行く。しかし、ジャイプル行きの汽車は、ここニュー・デリー駅からは出発しておらず、予約が取れる外国人オフィスは、すでに閉まっていたため、明日、デリー駅に行き、リザベーションを取ろうと思う。日本人の彼とは、途中まで一緒に行くが、彼は、シングルの部屋を探しているらしく、彼とはバザーで別れた。

 ホテルに着くと、ちょうど一人の日本人が、ドミトリーをチェックアウトするところだったのでチェックインする。一泊12.5ルピーだった。Honey Guest Houseは、日本人客のたまり場と言える。実際、ドミトリーには、9つのベッドがあるが、全部日本人で埋まっていた。どうも、今朝、レストランで会った4人もドミトリーに居るらしく、会ったときに気まずい雰囲気を作ってしまったためか、仲間に入りづらい感じがする。日本人ばかりになると、今までの旅行の話=自慢話になってしまう。外国人が中に居ると、日本人は、割と大人しくなっているが、どうも国民性と言うか、内弁慶のきらいがあることは確かだ。

 ホテルで洗濯をして、午後7時頃、晩飯を食べにホテルを出た。レストランでご飯を食べていると、二人の日本人が入ってきた。彼らは、まだ、デリーに入って間がなく、旅行も初めてという事で好感が持てた。彼らと、午後10時45分、一緒にレストランを出て別れる。

 昨夜は、予想どおり、真夜中の午前2時頃まで、日本人4人は、騒いでいた。その為、私は、眠れず、寝たのは、おそらく、午前3時頃だろうか?まったくこれだから、日本人は嫌だ!(私も日本人だが)。他人の事を考えず、日本人だけになると、どういう理由か?自分勝手に行動する。だが、彼らの話を寝ながら聞いていて、分かったことがいくつかある。まず、第一に、私は、日本という国は、世界から見て、かなり特異な国だと思っていたが、そうではなく、当たり前のことだが、その日本という国を作っている日本人が特異であることに気付いた。日本人について書くと、先ず一つに、スケベである。男が三人集まると、あの話になる。どこそこの売春宿は、どうだったとか。値段はいくらだったとか。明日、連れて行ってくれだとか。インドの売春宿は、世界の中で最も大きく、劣悪だと言われる。私は、利用したことは無いが、聞いた話では、一人500円で買えるらしい。その話を聞いて私は愕然とした。なんとコーヒー一杯に近い値段で、幼い少女が売られているのである。

 私の今までの経験では、外国人は、日本人とは違っている。日本人は、確かに、日本人同士では、結束が固く、相手を疑うことや、争いを避ける。これは、日本が、単一民族、単一言語のためだろう。また、日本人は、どちらかと言うと、将来に悲観的な見方をする。つまり、私もそうだが、くよくよしたり、考え込んだりする事が多い。二つ目は、外国にコンプレックスを感じており、他の国民と触れ合うことを、外国人と比べて、あまりしない。もちろん、言葉の問題もあるが、私に言わせれば、そんなことは二の次である。英語は、中学生の学力があれば充分なのだ。後は、恥ずかしがらず、いかにコミュニケーションを取るかだと思う。

 朝、8時半に、どういう訳か?昨夜は寝ていないのに起きた。9時半頃、いつものレストランに行き、ブラックティー、パン、オニオンオムレツの朝食を取る。その後、ニュー・デリー駅に行き、ジャイプル行きのリザベーションを取ろうとするが、外国人用のオフィスがどこにあるかが分からず、しばらく迷ってしまう。駅の構内で取れることは分かっていたので、やっとオフィスを探し、リザベーションを取った。オフィスで知り合った外国人カップルと一緒にホテルに向かう。ホテルのカウンターで、今日、出立することを告げ、部屋で荷造りをする。干していたジーンズが、まだ乾いていなかったので、そのままにして、ホテルを出る時に穿いて行こうと考えた。

 午後1時、再びいつものレストランに行き、スパゲッティを食べた。その後、時間に余裕があったため、日本大使館のオフィスに行ってみる。しかし、行く途中、今日は水曜日であり、午後1時で閉まっていることに気づく。仕方がないので、オールド・デリー駅までぶらぶらと歩いていく。オールド・デリーの印象は、ニュー・デリーと違い、庶民的な感じがした。途中、モスクに寄り、しばらくそこで過ごす。

 再び、オールド・デリー駅を目指すが、途中、宝石店に寄り、金の指輪を見ていたら、急にその指輪が欲しくなり、買ってしまった。値段は、30ルピーだった。これで、所持金は、ほとんど無くなり、トラベラーズチェックの40ドルと現金80ルピーのみになってしまった。(実は、この時は、まだ、それでも余裕があったが、後に、青ざめることになる)

 その後、ホテルに戻り、いつものレストランで、デリー最後の夜という事で、奮発してマッシュポテトとスパゲッティを食べ、オレンジ4つを買い、オールド・デリー駅に行き、駅の待合室で待つことにした。しばらくすると、突然、あるインド人から「ジャイプルに行くのか?それなら、早く行かないと間に合わないぞ!」と言われ、急いで、プラットフォームに向かい、コーチナンバー17番の汽車に飛び乗った。

 汽車の中は、すべて乗客でfull状態だった。汽車は、午後10時15分ごろ出発し、ジャイプルに向かう。座るスペースが無かったため、仕方がないので網棚に上り横になる。本を少しばかり読み、その後、室内が暑かったので、シュラフを出さずに寝たのがまずかった。午前2時か3時に起きたときは、確かにポケットにあったはずの財布がない。午前5時にジャイプルに着き、駅員に揺り起こされ、プラットフォームに急いで出て、チャイでも飲もうかと思って、ポケットを手で触ったら、そこには何も無かった。これは、いけないと思い、急いで、乗ってきたコーチを探すが、どうやら切り離された後で、そのコーチは無かった。自分に「落ち着け!」と言い聞かせ、タバコを一服する。その後、よくよく考え、自分が乗ってきたコーチを探す。すると、コーチは、別のプラットフォームに止まっていた。そのコーチに行き、駅員を呼び、「明かりをつけてくれ!」と頼んだが、誰も助けてはくれなかった。仕方がないので、暗闇の中手探りで探す。やっと、駅員がやって来て、ライトで照らして探してみるが、どこにも財布は無かった。確かに、このコーチで間違いはない。なぜなら、見覚えがあるミカンの皮が、床に散らばっていたためである。どうやら、誰かに盗られたらしい。まったくドジな話である。あと、10日余りの旅行という時に、お金を無くしてしまうとは・・・。

 その後、何とかパニック状態から脱しようと「まず、何をしなければいけないか?」を自分に問いかけ、頭を働かせる。まずは、駅のインフォメーションに行ってみる。事情を話すと外にポリス・オフィスがあるので、そこに行くように言われた。なるほど、日本でも、財布を無くした時は、まず、警察署に行くのと同じである。

 オフィスに行き事情を話すが、私が、あまりにも陽気に振舞ったためか?「お前は、もしかすると酔っているのか?」と言われる。財布の中身は、全財産の40ドルのトラベラーズチェックとわずかの現金である。幸いなことに、首にぶら下げていた帰りの航空券とパスポート、非常用に取っていた1万円札は、盗られていなかった。考えてみれば、旅行の後半でお金を無くして良かった。これが、前半なら、大幅に旅行の行程を変えなくてはいけないところだった。 そして、盗られたのが、アメックスのT/Cだったので、なんとか、アメックスのオフィスに行けば、現金化してもらえる。まだ、ツキはあるように思えた。

 以前、ヨーロッパを旅行中、スイスでユーレイルパスを盗られた時に、航空会社に助けてもらったことを思い出し、航空会社のオフィスに行ってみることにする。帰りの便が、タイ国際航空だったため、何か得策が見つかるかもしれないと、ポリス・オフィスで知り会ったインド人リクシャーの男と共に、タイ国際航空のオフィスに向かった。途中、情けないことに、その男にチャイをおごってもらう。その後、タイ国際航空のオフィスに行ってみたが、これといって得策は、見出せなかった。

 仕方がないので、その男に融通が利くというホテルに向かった。途中、また、その男にチャイをおごってもらう。ホテルに到着し、事情を話すとそこの主人に、「お金が無いのなら、ホテルには泊まらず、帰国便の発着地であるボンベイに向かった方が良い」と言われた。ここのホテルは、すごく親切で朝食を御馳走になった。

 しばらく「これからどうしようか?」と考え、ロビーで休んでいると、ある日本人の女性が、話しかけてきた。その人の名前は、まゆみさんと言い、24歳、なかなかかわいい人だ。彼女に事情を説明すると、300ルピー貸してくれるという事だった。インド人リクシャーにここで待つように言い、彼女の部屋に行く。彼女としばらく、いろいろな話をした。彼女は、OLで会社を辞めて、インドにやって来たらしい。これから、南下してボンベイに行く予定ということだった。私が思うに、彼女の素振りやインドでの話の内容から、なかなか、旅慣れていて、インドは、どうやら初めてではないらしかった。その後、彼女は、700ルピー貸してくれると言ったが、私は、それを断り、彼女から300ルピーを借りた。彼女は、これから、インド人の知り合いの家で、結婚式に出席する予定だという事だった。暫くすると、彼女に友人が訪ねてきたので、私は、「もしかすると、その結婚式に行くかもしれない」と言い、彼女とはそこで別れ、ホテルを出た。その時、インド人リクシャーには、世話になったお礼に、お金の代わりに持っていた電卓をプレゼントした。

 ガイドブック(地球の歩き方)に書かれていた「ツーリスト・バンガローでもここのレストランは安い」というTeejバンガローに行こうと考え、通りを歩いていると、背中の曲がった少年に話しかけられた。その少年が言うことに「一泊10ルピーのドミトリーがある」という事だった。ドミトリーで10ルピーは高いと思ったが、その部屋はシングルだったので、承諾することにした。荷物を部屋に置き、まずは、その少年とツーリスト・インフォメーションに向かった。インフォメーションに到着し、アメックスのオフィスの場所を係員に聞いたところ、「ここジャイプルにはアメックスのオフィスがない」と言われ、愕然とする。何が何でも、何とかして、アメックスのオフィスがあるボンベイまで行かなければならない。

 「まゆみさんに300ルピー借りといて本当に良かった」と改めて思った。300ルピーが無ければ、今晩から野宿する羽目になっていたかもしれない。700ルピーを、こんなことなら借りといても良かったが、海外での旅費は、日本でのお金の価値の数倍はすると思ったので、700ルピーの大金は、あまりにもまゆみさんに悪いと思われた。

 さて、途方に暮れてしまった。お金を何とか捻出しなければならない。持っているモノと言えば、携帯用のラジカセだったが、試しにリクシャーの男に「このラジカセを買わないか?」と問いかけてみたが、あまり良い値ではなかった。デリーで買った宝石を売ることも考えたが、これも安くたたかれるだろう。

 この時、私は、4年前に、オランダのアムステルダムで知り合った、ある日本人旅行者の言葉を思い出していた。それは「インドでパスポートとお金を無くし、バックパックを盗まれ、途方に暮れた時に、初めて自由を感じることができる」というものだった。私も、ここインドで、彼と同じような境遇に陥ったのである。この時、初めて、彼の言っている意味が分かったように感じた。それは、自由とは、束縛がないこと、束縛とは、守るものがないこと、人は、何らかの形で守るものがある。例えば、地位や名声、お金や家族、生まれてからこのかた守るものが多すぎる。日本にいる時は、これらのモノを無くすことはほとんどない。また、何らかのモノで守られている。海外旅行に行けば、日本人としてパスポートの恩恵を受ける。そういった束縛から、解放され、守るものは、自分の身一つと思えば、何ら気が楽である。極端な話、人は、お金が無くても、人の目を気にしなければ、施しを受けつつ生きることはできる。日本では到底体験できないことが、ここインドでは経験できる。つまり、“自由”を感じることができるのである。

 少しでもお金を工面するため、高校生の時に買った登山用のカッパを、背中の曲がった少年に売ろうとするが、その少年も買わなかった。しかし、少年は、ある所に私を連れて行き、そのカッパをある男に見せていた。その男は、「10ルピー(日本円で300円)で買う」と言ったが、あまりにも安いと思ったので、私は、売るのを諦めた。試しに、腕時計の値段を聞いたところ、150ルピーという事だった。

 少年とホテルに戻ると、ロビーに日本人の女性が居り、しばらく、その女性と話をする。その後、ボンベイ行きの汽車の予約を取りに、少年ともう一人のインド人と一緒に駅に行くが、あす、明後日の予約は満席だった。そこで、インフォメーションに行き、ボンベイへ行く方法を聞いたところ「バスが良いから、それにしろ!」と言われた。そこで、バスのツーリスト会社に行き、ボンベイまでの料金を聞くと、ボンベイには、ウダイプルで乗り換え、250ルピーで行くという事だった。「あまりにも値段が高い」と思ったが、「お金も無く、ここジャイプルに居ても仕方がない」と思ったので、仕方なくボンベイ行きの切符を買った。結果、所持金は、ホテル代を払って残り40ルピーになってしまった。

 その後、私が、客引きの少年等に「プリント工場を見たい」と言うと、二人は、私をあるインド人の店に連れて行った。二人は、まだ、私が、お金を持っていると思ったらしいが、その店で、マジで「お金が無い」と言うと、店主は、それをやっと信じたらしく、態度をガラリと変えてきた。そして、挙句の果てに「お前の英語の発音は、おかしい」と言ってきた。私は、「お前の方こそおかしい」と思ったが、何とか我慢する。すると、情けない話、その男にチャイを飲ませてもらう。お金が無いので仕方がない。「ここは、水分をできるだけ取るのが賢明だ」と思った。しかし、インド人の商魂たくましい姿を見られたことは良かった。ほとんどのインド人は、メリットがなければ人を助けたりはしない。

 ホテルに戻る途中、腕時計をある店で見せ、値段を聞くが、200ルピーと言われ断念した。この時計は、非常用として最後まで残し、どうしてもお金が必要な時に、ボンベイで使おうと思った。

 ホテルの部屋に入って、二人の客引きインド人と話していたが、途中、自分が、あまりにも彼らを信用していることに気づき、段々と猜疑心が湧いてきた。彼らは、何といっても客引きである。不幸は、二度重なるものだ。こういう時こそ慎重に行動しなければならない。彼らと別れた後「ボンベイ行きのバスのチケットが、偽物だったらどうしよう」という考えが浮かび始めた。そして、冷静になって、もう一度バス会社を訪ねることにした。

 バス会社でチケットを見せ、明日の出発時間と乗り換えを聞き、間違いないことを確かめ、ホッとする。ホッとしたら、何だか虚脱感に襲われた。ホテルの部屋に戻り、ベッドで横になっていたら、午前中にロビーで出会ったけいこさんと言う日本人の女性が訪ねてきた。彼女と話をしていると、さっき別れたインド人の一人が、再びやって来て「腕時計を320ルピーで買う奴を連れて来たが、どうだ!」言う。まったくしつこい奴だが、本物の悪人ではないらしい。

 その後、けいこさんとは別れ、ベッドで少し寝ることにする。時計は、すでに午後5時を過ぎていた。「今日の一日は、時が進むのがとても早い」と感じる。午後7時半ごろ、再び、けいこさんが、訪ねて来て「食事をしないか?」と言われた。お金は無かったが、「ドリンクだけなら良いだろう」と思い、彼女と一緒にホテルを出る。出口で再び二人連れの客引きインド人に会い、私たちに付いて着そうだったので、仕方なく近くのTeejバンガローのレストランに入り、ブラックティーとトースト、エッグを頼んで食べた。8.5ルピー掛かった。ドミトリーで一泊できる金額である。正直とても痛かった。客引きのインド人が、まだ、居そうだったので、彼らが、諦めて帰るだろうと思われる時刻の午後9時ごろまで、レストランで彼女と話をした。その後、レストランを出て、チャイを飲もうと通りの屋台で彼女と再び会話をする。

 けいこさんは、病院の検査技師であり、病院を辞めてインドに来ているという事だった。彼女は、その素振りから海外旅行の経験があまりないように感じた。インド南部を旅して1カ月少しらしかったが、まだまだ、これから北インドに向かう彼女にとっては大変だろうと思える。彼女の話から南インドは、北インドに比べて、とても過ごしやすいように感じた。北インドでも比較的過ごしやすいここジャイプルで大変がっていたら、とても、カルカッタやパートン、ヴァーラーナスィーでは対応しきれないように思える。彼女は、「これから、ネパールのチベットにも行ってみたい」と言っていたが、自ずとインド旅に慣れてくるだろう。私は、話していて、彼女の幸運を心の中で祈っていた。彼女とホテルに戻ったのが、午後10時45分ごろだった。

 翌日、朝9時に起き、シャワーを浴びた。冷水のシャワーだったが、久しぶりに生き返った感じがして、気持ち良かった。ここジャイプルは、気候が温かいためだろう。けいこさんに荷物を預かってもらい、午前10時にチェックアウトしてホテルを出た。まゆみさんに昨日お金を貸してもらったお礼を言おうと、彼女のホテルを訪れるが、彼女は、どうやら外出しているらしく留守だった。

 ホテルを出て通りの屋台でチャイを飲む。チャイを飲みながらこれからどうしようか?と考えていると、突然、視界に入った丘の上のアンベール城に行ってみようとひらめいた。歩いて約1時間掛かっただろうか?丘の下に出る。アンベール城は、ここから思っていたより急な坂の上にあった。自分自身に「もし、この坂を休むことなく、アンベール城がある頂上まで登り切れたら、自分の夢がかなう」と願をかけてみた。約40分掛けて、一度も休むことなく丘の上まで登ることができた。息が切れ、無性に横になりたい衝動にかられたので、石段の上で直に横になった。そこは、ちょうど日影になっており、石が冷たくて気持ち良かった。私は、しばらく、ハエがたかるのも気にせず横になっていた。

 ガイドブックの「地球の歩き方」に、アンベール城には、カフェテリアがあると書いてあったので、行ってみることにする。そこは、4~5人のグループだけしかおらず、とても静かだった。私は、いつものようにブラックティーを頼む。その時、何だか自分がやたらとカッコよく思えた。ブラックティーを飲みながら、植村直己さんの本を取り出し、読み始めた。本を読みながら、私が、インド旅行中に感じたことと同じことを、彼が、感じていたことにとても感銘を受けた。

(最終話につづく)

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