インド旅行(ヴァーラーナスィー~デリー編)第五話

インド(ヴァーラーナスィー~デリー編)第五話

 翌朝は、8時半にようやく起きた。とうとう日の出と共に、ベナレスの沐浴を見ることは出来なかった。せっかくベナレスに来たのだから、沐浴を見たかったが仕方がない。もう2~3日滞在したかったが、今日でインドは17日目、あと2週間で、帰国便の地であるボンベイまで行かなければならず、それもデリーでビザの延長ができたらの話である。つまり、あまり滞在日程に余裕はない。荷造りをしてバックパックを階下に持っていく。テェックアウトをして、13ルピー支払った。汽車の出発時刻にはまだ余裕があったので、カウンターに荷物を預けて、もう一度ガンガーを見に行くことにする。

 ホテルの前からリクシャーに乗り、30分掛けてガンガーに行く。午前中だったため、人数は多くないものの、まだ、沐浴をしている人々がいた。初めて、その光景を見たが、何だか感動してしまった。ガンガーの水を瓶に入れようとしたら、靴を脱がなければいけないと言われ、瓶を手渡し入れてもらう。写真を撮っていたら、子供たちが集まってきて、撮ってくれと催促され困ってしまった。その後、川岸をぶらぶら歩き11時半になったので、戻ることにする。帰りの道が分からなくなったが、リクシャーに乗り何とかホテル近くまで戻ってくる。デリー行きには、汽車の中で一泊するため、食料を買おうと駅前の屋台でミカン4個とバナナ6本、それとパンを買い、昼食のためレストランで、オムレツとパンを食べて、ホテルに戻った。

 あとで思ったが、30分くらい余裕があると思ったのが間違いだった。ホテルでチャイを飲みながら発車時刻の1時間前まで待ち、駅に行くことにする。5分で駅に到着すると思ったが、30分以上掛かってしまった。駅に到着するとプラットフォームの場所が分からない。人に聞きながら、なんとかプラットフォームに到着するが、人込みでごった返していた。ホームの両側に汽車が止まっていたが、どちらの汽車に乗ったらよいのかが分からなかった。なんとか、デリーという看板を見つけ、その汽車に乗るが、今度はコーチナンバーが分からない。人々に聞くと「コーチナンバーと乗客名が書かれている紙が、入口に貼ってあるのでそれを見ろ!」と言われた。インドでは、汽車に乗る時、いつも時間にあおられている感がする。時間にルーズになってはいけないと反省する。

 コーチナンバーが4番という事は分かっていたが、自分の名前が、果たして記載されているか?入口に貼られている紙を見ても、どうしても分からなかった。出発時刻が、差し迫っていたため、最後には、どのコーチでも良いからと考え、兎に角乗ることにした。乗ったコーチは、どうやら1等席であった。私の前に座っている17~18才くらいのインド人に何度も「デリーに行くか?」と聞き確かめた。暫くして駅員がやってきて、チケットを見せろと言われるが、案の定「ここは違うから、次の駅で乗り換えろ」と言われる。もう動くことは嫌だったため「いくら払えばよいか?」と聞いたが、駄目だった。おそらく汽車の車掌は、インドでは職業柄、地位(プライド)が高いように思える。袖の下は、通用しなかった。

 どれくらい時間が経ったか分からないが、汽車は次の駅で停止した。そこで、バックパックを背負い隣のコーチに移る。心の中で「どうかこのコーチが4番でありますように!」と祈りながら、コーチに乗って56番を探すが、人が座っていた。「ここもダメか」と諦めながら、切符を見せると「この上だ」と言われホッとする。何とかバックパックを上にあげ、何度も56番という番号を見ながら眠りについた。

 デリーに到着したのは、朝7時だった。昨夜は、よく眠れたのか、眠れなかったのか分からなかった。汽車の中は、気づいてみると思ったより空いており、荷物をどけてくれたり、いろいろとみんな親切だった。植村直己さんの本の中に出てくるように、足の踏み場もないほどではなかった。インドもあの頃よりは、発展したという事だろうか?活動を開始するのには、まだ早いと思ったので、チャイとパンを食べながら駅に暫くいることにする。

 午前8時、デリー駅を出て、駅前のメインバザールのバイシャルというホテルを探す。そのホテルを探す理由は、昨日、英国人からデリーで泊まるには、良いホテルだと聞いていたからだ。ホテル・バイシャルは、すぐに見つかった。シングル40ルピーは、高いと思ったが、今まで切り詰めていたのと、デリーでのんびりするにはちょうど良いと考え、立地条件も良かったことから、このホテルにチェックインした。部屋に入って荷物を置き、ベッドに横になっていると、いつの間にか寝てしまった。起きたのは、12時少し前で昼食を食べようとホテルを出た。ホテル近くのレストランで、パンとオムレツ、フルーツヨーグルトを食べ、コンノート・プレイスに向かう。

 デリーは、ラール・キラー(デリー城)の城下町であるオールド・デリーと、その南方にコンノート・プレイスから放射状に走る道路に沿って拡がるニュー・デリーの新市街という配置でできている。

 コンノート・プレイスの公園で座っていると、耳かきのおじさんがやって来たので、15ルピーでやってもらう。強いてやってもらう必要はなかったが、断るのもしんどかった為、してもらったが、これに付け込まれ、マッサージも17ルピーでしてやられた。だが、マッサージのせいか、してもらった後、体も軽くなった感じがして、やってもらって良かったと思った。

 コンノート・プレイスを出て、近くのインド政府観光局を探す。だが、分かっていたが、今日は、日曜日な為、閉まっていた。次に、ガバメントショップを探すが、途中、ある客引きの男に連れられて、土産物屋に入る。別に買うつもりはなかったが、宝石を見せられ、急に買いたくなった。今考えればバカな話で、今までなら絶対にそんな真似はしないのに、やはり、宝石に目がくらんだという事だろうか?猫目石を含んで22個の宝石を3,175ルピー(250ドル)で買ってしまった。後で考えれば100ドルは損をしたように思える。なぜなら、別の店で、買った宝石を店主に見せて値段を聞いたところ、はっきりとは言わなかったが、店主が、高いようなそぶりを見せたからである。衝動買いはするものではない。

 別の店で、カーペットの値段を聞くと、なんと10,000ルピーと言われ驚く。カルカッタでは、大きさは小さいが、同じシルク製で、値段が1,500ルピーの物を売っていた。後の祭りであるが、カルカッタでカーペットを買えばよかったと思い、二度気持ちが沈んだ。その後、近くの映画館で、開演が6時30分のチケットを買う。開園まで1時間ほど時間があったので、公園に戻り、時間をつぶした後、映画館に入った。映画のストーリーは、ある女性を主人公とした、いつものダンスがあるありふれた内容だったが、インド人もスペインなどの暑い国の人々同様、性格が陽気だという印象を受けた。

 映画を観終わった後、買い物の事でくよくよしていた自分が情けなくなった。今回の旅行は、別に、宝石やカーペットを買うためにやって来たのではない。この旅行が、学生最後のものであり「自由とは何なのか?」を問うためにやって来たのである。買い物は、二の次であると自分に言い聞かせた。あと7万円ほど余裕資金があるので、明日は、ガバメントショップに行って、再度土産物を見てみようと思う。

 映画館を出ると、雷が鳴りだし、少し雨が降ってきた。お腹が空いてきたので、今日、昼食を食べた同じレストランで、スープとフィッシュアンドチップス、サラダ及びケーキを食べる。流石に全部で20ルピー(日本円で600円)したが、満足するものだった。レストランで、フランス人カップル、それにコックとしばらく話し、午前0時、ホテルに戻り、シャワーを浴びて寝た。

 翌朝、9時に起きる。昨夜は、いろいろなことを考え寝付けなかった。今回のインド旅行は、今までの旅行の集大成のような気がする。社会人になったら、この様に、1ヶ月近くも長く旅行することは不可能になるだろう。思えば、学生生活の4年間は、アルバイトと海外旅行に明け暮れた4年間だった。最初のギリシャ旅行から北米、ヨーロッパ旅行、そして、インド旅行と通算すると約半年間も旅行したことになる。

 旅行の何に魅せられて、こんなにも長く続くことになったのか?4年前の自分には考えられなかったことだ。海外旅行の魅力は、一言では言い表せないが、まず、一つは、日本において経験できないことを経験できることではないだろうか?当然だが、海外に旅行に行くという事は、自分が“外国人”になるという事である。日本では味わえない、人々とのふれあい、コミュニケーションが、そこにある。物を買ったり、観光地に行き、様々なものを見るのも良いが、それよりも、後で考えると記憶として強く残っているものは、人との出会いが、結局、一番印象に残っている。

 いつものレストランで朝食を取り、まず、タイ国際航空のオフィスに行こうとするが、なかなか見つからず、結局、インフォメーションに行き、場所を教えてもらう。インフォメーションのオフィス前で、ある男に出会い、彼の案内でついて行く。タイ国際航空のオフィスでは、帰国便を2月25日に変更することを言い、その返事として、係員にもう一度、明日来るように言われた。

 ある男とは、おそらく観光客相手のギフトコンダクターとでも言えば良いのか?ある店に雇われ、その店で品物を買わせることによって、ペイをもらうと言った仕事をしているインド人である。私も、ここデリーでは、あまり店を知らなかったため、ここはひとつこの男を使ってみることにした。なぜなら、一通り店を回らせ、値段が安ければ後で、自分一人で訪れて、買おうと思ったからである。

 一通り回った後、最後にガバメントショップに行く。ガバメントショップの品物は、彼が言うとおり、良い物はあったが、ツーリスト相手のためか?値段が高かった。最初に彼に連れられて行った店に戻り、800ルピーでサリーを買った。また、後に一人で行くことが面倒だったので、もう一度、別の店に戻り、玄関マット用のカーペットとアイボリーの小さい仏像を320ドルで買う。カーペットは、3,800ルピーで高いと感じたが、ここデリーでは、こんなものだと思った。

 その後、コンダクターの彼が、ランチを食べに家に帰るというので、午後3時に待ち合わせをして、彼とは、一旦、別れた。私は、彼には「ホテルに戻る」と言ったが、Japan Information Centerに、日本からの手紙が届いているかもしれないと思い行ってみる。実は「Informationは、3時までランチタイムのため閉まっている」と彼には言われていたが、念のために行ってみたのである。確かに、午後2時半まで閉まっていたため、彼が、そんなに悪い奴ではないと思えた。手紙は、届いておらず少しがっかりして、午後3時15分、約束どおり指定された待ち合わせの場所に行ってみる。

 彼に「金の指輪が欲しい」と言うと、オートリクシャーに乗り、オールド・デリーのガバメントショップまで連れて行ってくれた。ガバメントショップに入り、指輪を見せてもらうが、店の者に「80ドル以下のものは無い」と言われ、結局、買うのを諦めた。その後も、彼は、私の後に付いて着たそうなそぶりを見せていたが、「この男にはもう用は無い」と思い、コンノート・プレイスで別れた。私は、ホテルには戻らず、もう一度、ガバメントショップに行き、指輪の代わりに金メッキのアクセサリーを34ドルで買った。

 疲れたので、ホテルに戻り、荷物を置くと「今日は朝食しか取っていない」と思いながら、レストランに行き、20ルピーで晩飯を食べることにする。ちょうど晩飯を食べていると、今朝、コックに「カーペットが欲しいと」言ったら、「俺の友達を紹介してやる」と言われたことを思い出した。ちょうどコックとその友達が居たため、もうカーペットは買ってしまったが、ネパール製のボックスが欲しかったので、声を掛けると、その友達とオートリクシャーで彼の店まで行き、品物を見せてもらった。確かにカーペットは安いように思えたが、ボックスは良いのが無かった。カーペットを見ていると彼が「お金は、日本に帰ってから銀行に振り込んでくれれば良いから、どうだ」と言われた。結局、30ドルの手付を払い、550ドルでビックサイズのカーペットを買った。この時は、彼が嘘を言っているようには思えなかったが、“インド人を信用するものではない”日本に帰った後も何の音さたもなく、カーペットはおろか30ドルも返ってこなかった。

 日本では、ベラボーに高いシルクのカーペットだが、ここインドでは、当時、ミドルサイズが300~400ドル、ビッグサイズが550~700ドルであった。学生だった私は、この時、何とかネパールやインドのカーペットを日本で売ることはできないか?と考えていた。それは、帰国後、日常の日々に忙殺され、消えていったが、はかない夢を持っていたと今は思う。

 今日は、1日でお金を10万円ほど使ってしまった。その為、インドでの残りの9日間を70ドルで過ごさなければならない。まあ、いつものことだが、これからは切り詰めていこう。このホテルも値段が高いので、明日は別のホテルに移ろうと思う。

 翌朝、8時30分に目が覚める。昨夜もどういう訳か寝付かれなかった。体の方は、疲れているのにどうもいろいろな事を考えてしまう。旅行も後半に入り、疲れがたまっているせいだろうか?荷造りをして、チェックアウトをした。一時バックパックをホテルに預かってもらい、朝食を食べにいつものレストランに行く。そこで、いつものメニューであるオニオンオムレツ、バタートーストとブラックティーを飲食し、その後、レストランの中で知り合った日本人からHoney Guest Houseの場所を聞き、バックパックを取り、そのホテルに行ってみる。

 このホテルは、日本人旅行者が多いらしく、ドミトリーもいっぱいの状態だった。暫く待ってみることにしたが、10時半になったので、荷物を預かってもらい、タイ国際航空のオフィスに行く。オフィスでは、帰国便のダッカ~バンコクの便は予約できたが、ボンベイ~ダッカがまだ分からないという事だった。また、午後3時か4時頃に来てくれと言うので、オフィス前のアメリカンエキスプレスで60ドルをインド・ルピーに交換し、ぶらぶらとショッピングを兼ねて店を見て回ることにする。この60ドルで残りのインド旅行をしなければならない。

 今日は、No.2通りの物産店街を見に行く。ここは、デリーに住む人々の日用品が売られている感じで、外国人ツーリストは、あまり見かけなかった。ネパール製の宝石箱を探すが、あまり良いのは無く、No.2通りの突き当りのポストオフィスに行ってみる。途中でハガキを買い、オフィス内で文字を書き、ハガキを出した。料金は、2枚で8ルピーだった。その後、午後2時になったので、Japan Information Centerに行く。日本からの手紙が、届いているかもしれないと思ったが、届いてなかった。Informationを出て、3時半頃、タイ国際航空のオフィスに再び行くが、やはり、ボンベイ~ダッカは、まだ、予約が取れていなかった。仕方がないので、ダッカ~バンコクを予約して、ボンベイ~ダッカは、もう少し待ってみることにした。今までの経験上、キャンセルは必ず出るので、おそらく大丈夫な気がする。帰国便は、ボンベイを2月25日に発つことになるだろう。

(第六話につづく)

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