インド旅行(ジャイプル~ボンベイ編)最終話

インド(ジャイプル~ボンベイ編)最終話

 約2時間、そのカフェテリアに居ると、インド人観光客の団体がやって来て、カフェテリアは、人でいっぱいになってしまった。私は「せっかく自分だけの世界に浸っていたのに」と残念に思いながら、カフェテリアを出て、今度は、市街が見渡せる広場に行き、再び本を読んでいたら、インド人の少女三人が、はしゃぎながら近づいてきた。おそらく、16~17才くらいだろうか?私が、彼女達に笑いかけると、彼女の内の一人が、私が、読んでいた本をのぞき込んできた。私が「ジャパニーズ ブック」と言うと、彼女は、理解しているのか分からなかったが笑っていた。私は、彼女達が「カメラを持っているなら、写真を取ってくれ!」と言っているように思えたので、一枚だけ写真を取り、カメラを彼女の内の一人に渡した。すると、彼女達は、勝手に自分たちだけで何枚も写真を撮り、遊び始めた。まったく無邪気である。私も写ろうとするが、手でダメだといった素振りを見せる。彼女達は、まったく英語が話せないらしく、ヒィンディー語で話しかけられたが、何を言っているかが分からなかった。しかし、私は、なんとか彼女達と身振り手振りでコミュニケーションをとった。

 しばらくして、ネパール人と思われる三人組がやって来たので、彼女達は、その場から離れていった。その後、午後4時近くになったので、私も丘を降りることにした。まゆみさんにもう一度会い、お礼を言おうと彼女のホテルに徒歩で2時間くらい掛けて行ってみたが、彼女は居なかった。その後、市場でバナナとゆで卵2つ、パンを食べていると、昨日の客引きのインド人が近づいて来たため、けいこさんの部屋に行き、彼女としばらく話しをする。午後8時近くになったが、最後にどうしてもまゆみさんに会い、お金を貸してくれたお礼を言いたかったため、彼女のホテルに、再び向かった。彼女は居たが、インド人の友人らしき人が居たため、あまり話ができず、お礼だけを言って彼女とは別れた。

 ボンベイへ向かうバスの中は快適だった。冷房が効いており、シートも硬くない。ボンベイは、物価が高いと聞いていたが、これらの事から推測すると、本当のようだ。私は、インドは、北部より南部が発展しているのではないだろうか?と感じた。現在の所持金は、たったの12ルピーと非常用の1万円札だけだ。できるだけ1万円札は使いたくない。今日食べたものは、バナナ4~5本、卵2個、パン3切れだけである。ただ、空腹感はそれほど無く、体の調子は良い。

 ボンベイへの経由地、ウダイプルに朝5時に着く。外はまだ薄暗い。昨夜は、隣の席のインド人のイビキのせいであまり寝られなかった。バススタンド近くの食堂でチャイを飲む。午前8時近くになり、外が明るくなったので食堂を出て、バスオフィスに行く。オフィスでチケットを見せ、今日のボンベイ行きの時刻を聞くと、午後4時という事だった。お金も無く、時間だけを持て余す。「あと7時間もどうしたものか?」と思い、オフィスに荷物を預け、市街をぶらぶらしてみることにした。

 駅の方角に向かっているつもりが、どうやら、反対の郊外の畑に出てしまったらしい。ちょうど横になるのに具合が良い石段があったので、しばらくそこで横になって寝た。1時間ぐらいしただろうか?人がやって来る気配がしたので起きる。相手は、「どうしてこんなところで寝ているのだろう?」という顔をしていたので、私は、取り繕うために駅への行き方を聞いた。

 その後、駅には向かわず、明日が日曜日で銀行が閉まっている事に気づいたため、BANK OF INDIAに行き、仕方なく非常用の1万円を崩し、一部を80ルピーに交換した。それから、しばらく公園で寝ていた。そして、午後3時になったので、朝訪れた食堂に行き、チャイを飲むことにする。その後、午後4時、バスオフィスに行き、午後4時半バスに乗り、ウダイプルを出発した。

 朝10時、バスは、ボンベイ・セントラル駅に近い州交通バス・ターミナルに到着する。まずは、チャーチゲイト駅近くのインフォメーションに行ってみる。チャーチゲイト駅は、フォート地区の西側にあり、周囲には1級、中級、それからバックパッカー向きの経済的なホテルが多く、安くて味の良いレストランも多い。インフォメーションには着いたが、今日が、日曜日のためか?閉まっていた。仕方がないので、インド門近くに行き、客引きにサルベーション・アーミーのホテルの場所を聞き、行ってみるが、ドミトリーで35ルピーだった為、その客引きが、「もっと安い」と言っていたホテル(ドミトリーで25ルピー)に行ってみることにした。お世辞にもきれいな部屋ではなかったが、お金が無いので仕方なくチェックインする。荷物を置き、まず、少し寝た後、シャワーを浴びた。その後、日本人が、多く集まるというインド門に行ってみたが、日本人に会うことはなかった。

 ボンベイの印象は、デリーよりも高層ビルが多く、まるでパリの郊外に来たみたいだった。ボンベイはインドであってインドでないように感じる。人々の表情は、穏やかでカルカッタとは違い、気を張っていなければならないということはない。その反面、カルカッタなどと違い、刺激がなく、面白味に欠けると言うことができる。故に、ツーリストにとって、ボンベイは「良い」と言う人と「悪い」と言う人に分かれると聞くが納得である。

 インド門近くをぶらぶらした後、疲れたのでホテルに帰りしばらく寝ることにする。起きたのは、午後8時に近かった。起きると、アメリカ人とドイツ人の二人が、部屋に居ることに気づいた。しばらくの間、彼らと話をしてみる。この旅行で、アメリカ人と話すのは、初めてだった。彼は、38才、トラックの運転手であり、如何にもアメリカ人と言った訛りのある英語を話す。インド旅行は、4日目で日が浅いにもかかわらず、その威圧感は、私もタジタジになってしまった。英語が、かなり聞き取りにくいせいもあるが、ドイツ人の方は、彼にまったく押されっぱなしである。ここに、世界№1のアメリカの強さと、ヨーロッパ人がアメリカを嫌う理由が垣間見られた。

 私が、世界を旅して感じたことは、アメリカは名実ともに世界で№1である。№2は日本、次はドイツだろう。これは、私が、世界を見聞きして肌で感じたことだ。(当時中国が、今ほど発展するとは考えられなかった)私は、どちらかと言えば、アメリカ人よりヨーロッパ人の方が好きだ。まあこれは、そう決めつけるのは良くないが、今まで旅先で彼らと接してきた中で感じたことである。

 しばらく彼らと話した後、腹が減って来たので、外に出てトマト、バナナとゆで卵2個を買う。これが、今日の晩飯だ。全部で8ルピー(日本円で240円)、量の割にはとても安いと言える。レストランなどで食べるよりははるかにうまい。ブラックマーケットで、2,000円を替え170ルピーを受け取る。1,000円までで何とか抑えたかったが、エアポートタックスが、100ルピーと聞いていたため、多めに両替した。明日は、なんとかトラベラーズチェックを再発行してもらい、現金を手にしてホテルを替わろうと思う。何だかベッドにダニがいるみたいなので・・・。

 昨夜は、南京虫に噛まれ、かゆくてあまり眠れなかった。このホテルは、確かに安いがベッドに南京虫がいてはかなわない。向かいのホテルのサルベーション・アーミーに、今夜は代わろうと思う。午前8時半チェックアウトして、サルベーション・アーミーに行き、旅行者が出立するチェックアウトの時間午前9時までロビーでしばらく待った。マスターが、しばらく待つように言ったため、確かに、ベッドの空は、はあるように思われる。

 午前9時を少し回ったところで、チェックインをして、ルーム№15、ベッド№7に荷物を置き、まずはシャワーを浴びる。その後、食堂に行き、昨日買ったバナナとトマトを食べた後、チャーチゲイト前のインフォメーションに行く。ボンベイのインフォメーションの係員は、とても親切だった。そこで、タイ航空のオフィスの場所とエアポートバスの事を聞いた。

 その後、タイ航空のオフィスを探すが、なかなか見つからない。やっとのことで、ビルの裏側にあるオフィスを探し当てた。デリーでリザベーションを取っていたので、問題はないようだった。2月25日の朝4:40ボンベイ発、バンコック午後1:30着の予定である。Taxの事を聞くと100ルピーだった。その後、ジャイプルで盗まれたトラベラーズチェックを再発行するためアメリカン・エクスプレスに行くが、再発行は、どうやら別のトラベルオフィスでやっているようで、その場所を聞き訪ねることにした。

 T/Cの再発行は初めてだったため、少し戸惑ってしまった。4~5枚綴りの用紙に40か所余りを記入する。例えば、自分の名前から始まって、紛失した日、時間、状況、最後にそのT/Cを見た場所、時間、最後にT/Cを使った場所、日、自分が現在使っている銀行の名前と住所などなど、英語で書かれているため、書くのに1時間くらい掛かってしまった。40ドルは、半分諦めていたため、別に気にしていなかったが、どうも今日中に、再発行してもらえそうであった。用紙に記入した後、別カウンターに行くように言われる。

 カウンターには、一人のインド人と数人のフランス人がいた。フランス人達は、どうやら米ドルを受け取っているらしかった。かなりの時間待たされる。フランスでは外貨の持ち出しが制限されている。その為おそらく、外国で外貨を手に入れたいのだろう。一人2,000~3,000ドルは受け取っている。私は、フランスにも旅行したことがあるが、フランスは思ったより発展していない。それは移民のせいでもあるが、フランスの通貨フランは、外貨として弱く、その為、人々は、米ドルを好んで持つ。2時間くらい待たされる。私もはじめのうちは我慢していたが、そのうちイライラしてくる。やっとのことで40ドルのT/Cを受け取ることができた。こんなに簡単にここインドで再発行ができるとは思わなかった。おそらくボンベイだからこそであろう。その後、疲れたのでホテルに戻ることにした。

 今日は、日中とても暑く、冷水のシャワーを浴びると、とても気持ち良かった。午後5時ごろ、腹が減ったので、昨日の市場に行き、バナナ、トマト、ゆで卵3個を買う。いつものレストランに行き、スパゲッティを食べたが、15ルピーもしたにもかかわらず、あまり美味しくなかった。よっぽどデリーで食べた6ルピーの物の方が、ずっと美味しく感じた。ホテルに戻り、買ってきたバナナ、トマト、ゆで卵を食べようとロビーに行くと、日本人が二人いため、食べながら彼らと話をする。

 後からもう2人の日本人がやって来たが、その内の一人にインド旅行は2回目で、海外旅行は4度目という私と同じ歳の学生がいた。彼も、2月25日、タイ航空ボンベイ発の私と同じ便で、日本に帰国するらしい。彼も私と同じように、アルバイトをして資金を稼ぎ、大学2年から海外旅行に行き出したと言っていた。彼は、他の日本人とは少し違って見えた。彼の話しぶりから、確かに海外旅行の経験は豊富であるらしかった。ただ、とかくどこそこに行ったとかの自慢話が多く、私としては鼻持ちならない奴に思えた。人の事をとやかく言うつもりはないが、こっちが聞きもしないのに、自慢げに旅行期間が何年とか、どこそこに行ったと話す必要が果たしてあるのだろうか?旅行の思い出は、人それぞれであり、決して虚栄心を張る事や力の保持を示すものではない。旅行で得難い経験をしたのであれば、自分一人に大事にしまって置くことはできないのだろうか?

 彼らが、その後、飲みに行くと言うので彼らとはそこで別れた。理由は、私にお金が無かったためである。私は、一人でインド門に行ってみる事にした。昨夜、インド人男性が歌を歌っていたことを思い出し、それを聴きに行ったのである。しかし、今夜は、彼の姿はなかった。その代わり、きれいな花火が数発上がっていた。しばらく、星空を見上げながら、ボンベイの夜空を堪能していると、三人組の日本人がやって来た。彼らは、日本人には珍しく、男性一人と女性二人という組み合わせだった。その内の二人は、法政大学の学生だった。彼らは、まだ、インドに来て間がないとの事だった。チャイを飲むため場所を変え、彼らと午後11時頃までバカな話をして、意気投合する。その後、ホテルに戻り、午前0時に寝た。

 翌朝8時に起き、荷物をバックパックに入れ整理する。ここのサルベーション・アーミーは、イギリス式で朝食が付いているため、午前8時半、ロビーに食べに行く。昨日、出会った三人の日本人がいたので、一緒に食べることにした。その時、昨日のトマトとゆで卵を一口かじって食べようとしたが、腐っていたため吐いてしまった。それから、どうも腹の調子が良くない。

 日本人三人が、アーリア人がどうした、こうしたという話になったので、私は、早急に退散することにした。その後、ホテルのカウンターに行き、チェックアウトし、それから、部屋に戻り、シャワーを浴び、日記をつけようとロビーに再び行く。そこで、アメリカ人、イラン人、スペイン人の三人組と話をした。アメリカ人の長く退屈な話が終わったため、日本人と思われる三人の女の子達の側に行き話をする。その内の一人が、私と同郷であり、高校時代の同級生の従妹であることを知り、世間は思ったより狭いものであると実感した。彼女達は、これから、昼食を食べに行くというので、私も行きたかったが、お金が無かったため断念した。

 アメリカ人と少し話した後、インド門に再び行ってみた。その日は、日差しがとてもきつく、サングラスを付けなければ眩しすぎるほどだった。しばらく、そこで、日光浴を楽しむ。その後、AIR INDIAのビルに行ってみる。なぜなら、今夜、空港に行くエアポートバスが、そこから出発するためだ。出発の時刻には、まだ早かったが、一応念のために場所を知りたかったのである。AIR INDIAのビルに到着すると、遠くの方に白い砂浜のビーチが見えたので、行ってみることにした。

 ビーチに到着したのが、午後4時ごろだったが、まだまだ日差しがきつく、短時間で日に焼けてしまいそうであった。そこで、チャイを飲み、集まってきたインド人としばらく話す。その後、午後5時になったので、ホテルに帰ることにした。

 ホテルに戻ったのが午後6時半であったが、ホテルの主人に10ルピー払わないのなら今すぐ出るように言われた。私が、バックパックをドミトリーの部屋に置いていたためであり、こっちが悪いので仕方がない。部屋に戻ってシャワーを浴びようと考えたが、顔と足だけ洗って荷物を整理する。そうすると、フランス人とイギリス人が、ハシシを取り出し「吸うか?」と聞いてきた。私は、低調にそれを断った。その後、バックパックを背負って階段を降りていると、三人組の日本人に会い、ロビーで少し話をする。その内の一人が、私と同じ便で帰国すると言うが、午後10時頃にホテルを出るということだったので、彼らとは、そこで別れた。AIR INDIAのビル前に到着すると、インドとは思えないようなビルの明かりと、海岸の外套の明かりとで織りなす夜景が、とても綺麗でしばらく見とれていた。

 午後8時、バスが来たので25ルピーを払って乗る。バスは、国内線空港で一時止まり、国際線空港に到着したのが、午後9時半であった。タイ国際航空のカウンターをインフォメーションで聞き、出発の午前4時40分まで時間があったので、シュラフを取り出し、ロビーで少し寝た。起きたのが、午前1時半、眠った時は、周りには、人がまばらであったが、今では、人でいっぱいである。

 タイ国際航空のカウンターでチェックインする。飛行機は、ボンベイを午前4時40分に出発し、午前10時半、ダッカで乗り換え、タイのバンコクには、午後1時半に着く予定である。バンコクでは、一泊しかするつもりがないので、T/C(40ドル)も帰ってきたことだし、タイの最後の夜は、リッチに行きたい。

 空港内の銀行でT/Cをドルに交換しようとするができず、タイ国際航空のカウンター前に行くと、昨日会った日本人が来ていた。彼と一緒にチェックインする。100ルピーと思っていたTaxが、50ルピーであった。その後、彼と一緒にレストランに行き、43ルピーで焼きそば、焼き飯、紅茶を頼んで食べた。夜の空港は、とても静かであり、ある一種の緊張感がある。私が、夜の空港を好きな理由の一つだ。私は、レストランから見ることができる飛行機の発着をしばらく見ていた。時間が来たので、イミグレーションに行く。その後、飛行機は、定刻時間より少し遅れてボンベイを飛び立った。

 大学生の4年間は、アルバイトと海外旅行に明け暮れた。旅行中、いろいろな人と出会った。中には世界中を10年以上旅する人に出会ったが、私は、彼らの事が正直すごいとは思わない。旅行は、一種の中毒性がある。長く旅しているとその生活から抜けられなくなる。とある国のドミトリーで、薬物中毒から青白く、やせ細った白人と同室になったことがあるが、私は、これ以上旅行を続けていると、いずれは自分も彼と同じようになってしまうのではないか?と強迫観念に駆られたことがある。自分の将来像を見ているようで正直怖かった。故に、旅行は、このインド旅行が最後と決めていた。旅行で、経験したことは、これからの人生でいずれ活きてくることだろう。

 この旅行記の読者には、できれば十分時間がある学生時代に、一度海外旅行をすることをお勧めする。そうすれば、如何に日本という国が、世界から見て特異な国であることが分かるだろう。それでは、最後まで読んでくれてありがとう。

 良い旅を!

(終わり)

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