インド旅行(カトマンズ~ヴァーラーナスィー編)第四話

ネパール・インド(カトマンズ~ヴァーラーナスィー編)第四話

 バスの出発時刻は午後4時だということだったので、二人とは、一旦別れ、ホテルに戻りバックパックを取りに行く。市街をぶらぶらし、市場でブドウを買おうとしたら、一人の日本人男性に声を掛けられた。なんでも東京から来た大学生だと言う。彼も今夜か明日、ポカラに行くという事だった。彼と少し話した後、午後2時45分、バススタンドに行く。オフィスが開いていたので、切符を出し、お金を払い戻してもらった。その後、昨夜行った屋台でチャイを飲む。午後3時30分、バスに乗り出発を待つ。しばらくすると、今朝会った外国人二人が、やって来た。

 午後4時20分、バスは出発した。一番後ろの席で窮屈だったが、座れないよりましだ。午後8時、「ここでバスを降りて、乗り換えろ」と言われる。外国人二人と共にバスを待つことにする。外国人二人は、旅慣れた感じがした。彼らは、登山靴を履いているが、髪を編んでいかにもヒッピーという格好だった。ポカラに行き、トレッキングをするらしい。一人は、英国人でもう一人は、忘れてしまって、二人の名前も今では思い出せない。

 一人旅の利点は、お互い気が合うと、いつでも行動を同じくすることができる点である。二人以上グループになるとなかなかそうはいかない。お互い気兼ねして、すんなり溶け込めないのである。

 午後11時、チャイを飲む。午前1時、バスが来たので外国人二人と一緒に乗るが、席は無く通路に座って寝る。私は、割とバスの時刻といい、席が決まっていることといい、ネパール人は、思った以上に、他の発展途上国に比べ、しっかりしていることに驚いた。

 午前5時、ポカラに到着する。外国人二人と共に、湖近くまで40分かけて歩く。日の出前だったため、辺りはまだ薄暗く、周りがどうなっているか分からず、私は、只々、彼らの後をついて行った。そして、湖近くのレストランで夜が明けるのを待つ。ゆで卵2つとチャイを頼み、昨日買っていたパンと共に食べる。途中、レストランの裏にある野外のトイレに行ったとき、初めて、エベレストの山々がこんなにも近くにあることに感動する。それは、まるで写真のような景色だった。

 1時間ほどレストランで過ごし、三人でホテルを探しに行く。歩いていると、明らかに様子がおかしい奴が、私たちに「ハシシを買わないか?」と言ってきた。私は、買うつもりはなかったが、二人が「いくらだ?」と聞き、男が「120ルピーだ」と言うと、二人は「30ルピー(日本円で当時900円)でないとダメだ」と答えた。その男は「何日も食べ物を食べていないから、助けてくれ!」と言い、値段を35ルピーまで落としてきたが、それでも二人は、買わないそぶりを見せ、私にウインクした。結局、その男は、30ルピーで二人にハシシを売ることになった。

 しばらくして、客引きのおじさんが、「15ルピーの安いホテルがある」と言うので付いて行く。ホテルに着いて、部屋を見せてもらうと、割と思ったより良かったので、三人で、このホテルに決めた。ホテルの名はINDIRA GUEST HOUSE LEAK SIDE POKHARAだった。25ルピー払えば、朝食が付いている。

 部屋に入ると、二人は、さっき買ったハシシを、早速、吸い始めた。私は、「薬物は使用しない」と決めていたため断ったが、彼らは、かなり慣れた手つきでパイプ(チラム)にハシシを詰め、それを両手で握り吸い出した。

 昨夜は、バスの中での睡眠だった為、疲れていたのか?午後2時ごろまで、ベッドで寝てしまった。その後、三人で昼食を食べに行く。パンと目玉焼きをチャイと共に頼んで食べる。因みに、この2週間での出費は、トータルで1万5千円しか使っていない。つまり、旅費や宿泊代も含めて、1日約1,000円で旅行していることになる。我ながら倹約過ぎているので、もう少しリッチでも良いと感じる。

 外国人二人とは、彼らが、「自転車に乗ってBANKに行く」と言うので別れ、私は、湖の周りをぶらぶらと歩くことにした。途中、レストランでヨーグルトを食べながら日記をつける。午後6時ごろ、部屋の鍵を私が持っていたので、ホテルに帰ると、午後7時ごろ丁度二人も帰ってきた。二人が、また、ハシシを吸い出したので、私は、部屋を出て、一人でレストランに晩飯を食べに行った。部屋に帰ってきたのが午後10時。二人が、すでに寝ていたので私も寝ることにした。

 翌朝、8時に目が覚める。ホテル経営者のネパール人の奥さんが、ベッドまでモーニングティーを持って来てくれた。後に朝食を出してくれると言うので、ベッドの上でごろごろして待っていると、午前10時ごろ、彼女が、ネパール式朝食を持ってきた。ここの奥さんは、なかなか優しく、ネパール人の女性にしては、人懐っこい感じがした。

 外国人二人が「ポストオフィスに行く」と言うので、私も付いて行くことにする。自転車を1時間3ルピーで借り、約1時間半かけて市街に向かった。自転車に乗って見るエベレストの景色は、歩きながら見るものとは違って見えた。ポストオフィスに着き、彼らが手紙を出している間、近くの店や市場を見て回る。その内、彼らも、これからのトレッキングのため、山に入るというので、買い出しをし始めた。

 しばらくして、私は、明日の朝、インドのヴァーラーナスィー(ベナレス)に行くバスの切符を手に入れるため、彼らとはここで別れ、バススタンドに向かった。途中、空港近くのツーリストオフィスで、「バススタンドにはどう行ったら良いか?」」を尋ねたら、ヴァーラーナスィーに行くのだったら湖近くのガバメントオフィスから直行のバスがあって、その方が早いから良いという事を聞く。あまり時間がないことだし、乗り継いで行くより料金は高いが、ここは、ツーリストバスを使うことに決め、自転車に乗って、再び湖に戻って来た。

 湖の岸辺に自転車を止め、寝転がって一人湖を見ていた。こうしてのんびりするのも、これからは、少ないだろうと思う。ここポカラでは時間がゆっくりと流れている感じだ。暫くして、今度は小さい山に登ってみようと思い、自転車を返却しに歩く。途中、二人連れの日本人女性に会い、少し話した後、また、会うことにして別れたが、結局合わずじまいだった。

 小高い丘から見る景色は、湖がよく見えた。そこでリンゴを食べ、タバコを吹かしながら物思いに浸る。日がだいぶ傾いてきたので、ホテルに戻ることにする。ホテルに帰る途中、英国人らしき奴が、屋外のテーブルで食事をしていたので、彼の隣に座り、私もカリーとライスを屋台のおやじに頼んだ。他にも5~6人ほど外国人が居たが、彼らとその英国人は、ハシシを吸っているらしかった。

 海外旅行をしていると、ドラッグは避けようとしても向こうから接近してきて、試みる羽目になるかもしれないが、その場合、判断がつかなかったり、自分自身を支えきれる自信がなかったら、ひたすら避け続けるべきである。興味半分で手を出して、ひどい結果になることも考えられるからだ。私が聞いた話では、売人とホテルの一室でマリファナを吸っていて、目を離したすきに財布とパスポートを盗まれたり、レストランで外国人が、回し飲みしていたので自分も吸ってみると、突然眠気が襲ってきて、飛行機に乗り遅れたり、定かではないが、目と舌を焼かれた日本人女性が、身を売られたというまことしやかな話もある。ツーリストを狙う売人や中毒者などから強く勧められても、自分の判断を守り通すことである。

 案の定、一人の外国人がハシシを回し飲みし始めた。私の番が来たが「ON! Thank you」と言って断った。カリーとライスが来たが、その味と言ったら、具は無く小麦粉を水で溶かしただけのシャバシャバのカレーで、あまりの不味さに全部は食べられず、半分ほど残してしまった。おやじに7ルピー(日本円で当時210円)を払い30メートルほど歩いたら、胸がいっぱいになり、食べ物を吐き出してしまった。私の人生の中で、食べ物が不味くて吐いたのは、これが初めての出来事だった。後ろの方でさっきの外国人たちの笑い声が聞こえてきたが、どうしようもなかった。

 翌朝、4時45分、同室の英国人の咳で目が覚めた。顔を洗い、歯を磨き、荷物を整理し、昨日にホテルの宿泊代は、払っていたため、そのまま、午前5時15分、ホテルを出た。同室の二人は、起きている様子だったが、何も言わなかったため、私も、声を掛けなかった。午前5時半、バスが通りに止まっていたため、バスの上にバックパックを載せバスに乗る。途中、日本人らしい二人連れが乗ってきたが、その時は話しかけなかった。

 バスは、崖ギリギリいっぱいのくねくね道を通っていく。対向車が来ようものなら、どちらかが止まって待つしかない。何度目かの休憩の後、午後12時ごろ、人が集まっていたため、バスは停車した。事故かもしれないと思い、バスから降りて、私も見に行ってみると、なんと、一台のバスが谷底に落ちている。そのそばに人らしいモノが、4体横たわっていた。話を聞くと、どうも落ちてからそんなに時間が経っていないようだった。谷底まで200~300メートル、ここから落ちたらまず無事では済まないように思えた。

 午後3時、国境近くのバイラワと言う所に到着する。ホテルは、あらかじめツーリストオフィスに頼んでいたため、今日はこのホテルで一泊し、明日の朝、ヴァーラーナスィー(ベナレス)に行く予定だ。ホテルに着くと、先ず、トラベラーズチェック(ドル)をルピーに換え、ビスケット、ゆで卵2つとポークカリー(9ルピー)をレストランで食べた。その後、ホテルに戻り、シャワーを浴び、しばらく、相部屋となった川原さんという日本人旅行者と話す。そして、まだお腹がすいていたので、焼き飯、サンドイッチ、チャイ(合計13ルピー)を飲食した。

 午後8時20分、川原さんが寝てしまったため、私も寝ることにする。

 翌朝7時、ドアをたたく音で目を覚ます。昨夜、このホテルの子供に、朝食を7時に持ってくるよう頼んでおいた為だ。わりと時間通りなので驚いた。オムレツとパン、それにチャイの朝食は、なかなか美味しかった。

 その後、荷物を整理し、川原さんと子供に連れられて、出国の手続きをするため、ネパール側のイミグレーションに行く。それから、インド側のイミグレーションに、入国の手続きをするため訪れる。ネパール側のイミグレーションでは、7日間の入国ビザしか取っていなかったため、延長で10ルピー取られた。本当は,12ルピーだったが、おつりが無かったため、おまけしてもらえた。インド側のバススタンドでバックパックをバスの上に載せ、川原さんとバスに乗る。午前8時45分、バスは、ヴァーラーナスィーに向けて出発した。ツーリストバスということで、バスの中は、日本人を含む外国人が多く、カップルの旅行者も何人かいた。

 ヴァーラーナスィー(ベナレス)のカント駅に到着したのは、午後7時半。予定では午後5時という事だったが、やはりかなり遅れてしまった。川原さんは、ガンガー(ガンジス川)近くのホテルに泊まるという事なので、バスに同乗したもう一人の日本人と共に、リクシャーの男に追われるように、言葉をかける暇もなく消えていった。私は、日が沈み、周りが暗くなってから行動するのは嫌だったためと、ポカラで一緒だった外国人二人に、「ヴァーラーナスィーでは、Hotel Blue Starが良い」と言われていたため、カント駅近くのHotel Blue Starに泊まることにした。

 まずは、駅のインフォメーションに行き、ホテルへの行き方を教えてもらう。ちょうど一人のリクシャーが、私の後を付いて着ていたため、その運ちゃんに1ルピーを渡し、ホテルまで乗せてもらった。夜遅かったため、部屋がないかもしれないと心配したが、ドミトリーの部屋が、何とか取れた。なかなか感じの良い所で、様々な国の外国人が、泊っているらしかった。宿泊代が後払いと言うのも、お金がない私にとっては助かった。荷物を置き、カント駅近くをぶらぶらした後、ホテルに戻り、午後11時に寝る。

 翌朝、8時30分に起きる。午前6時に起き、ガンガー(ガンジス川)の沐浴を見に行く予定だったが、昨日の疲れのためか?起きることができなかった。今日の予定としては、まず、インフォメーションに行きマップをもらい(デリー行きの汽車のリザベーションが取れればそこで取る)次に、銀行に行きトラベラーズチェックを換金し、その後、駅に行きリザベーションを取る。そして、最後に、ガンガー(ガンジス川)に行くことに決めた。

  午前9時、ホテルでブラックティーとパン、それに目玉焼き(6ルピー)の朝食を取る。午前10時、ホテルを出て駅の北口から北へ1.5㎞ほどの所にあるGovernment of India Tourist Officeに行く。かなり時間が掛かったが、なんとか午前11時、ツーリストオフィスに到着する。途中、ポストオフィスで切手を買った。ツーリストオフィスでは、汽車のリザベーションはしておらず、単にマップをもらいオフィスを出た。次に、銀行で50ドル(当時一ドル240円)のT/C(トラベラーズチェック)を655ルピーに替えた。

 デリー行きの汽車賃がどれくらいなのか分からなかったのと、明後日は日曜日なので多めに換金した。その後、駅に行き、デリー行きの予約を取る。駅に到着したのは午後1時半だったが、カルカッタと違い、ここヴァーラーナスィーでは、駅のカウンターで予約を取るらしく、並ぶこと1時間、デリー行きの汽車の切符を82ルピーで買う。出発時刻は、明日の午後2時だった。

 駅の構内で、日本人三人に出会い、駅近くの屋台でカリーとチャパティを一緒に食べた。その内のふたりは、まだ、インドに来て1週間くらいで、旅行に慣れていない感じがしたが、初々しく好感が持てた。もう一人は、4ヶ月間モルディブ、スリランカ、インドと旅行しており、旅慣れしている感じがしたが、この人も自慢げな感じはせず、話していて悪い感じはしなかった。食事をした後、旅慣れた日本人とは別れ、私を含む三人でオートリクシャーに乗ってガンガー近くのバザーに行く。バザーをぶらぶらして、ガンガーの景色を岸辺から観ると、初めてガンガーを見たわけではなかったが、ここでの景色は、これぞ正しく“インド”というイメージ通りであった。

 ヒンドゥー教の信仰によれば、ガンガーの聖なる水で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、ここで死に、遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱を得るという。これはヒンドゥー教徒にとって最高の幸福と言える。

 土産物の売り子にしつこく付きまとわれたがいなし、ガンガーの川岸を三人でしばらく歩いていると、一人の日本人に出会った。彼は、初めて会うなり、ニコリともせず、こっちが話しかけているのにこちらを見ようともしない。格好はインドの民族服であるクルターとドーティ姿、如何にも「私は、インド旅行は長いです」(実際インドは3回目と言っていた)と主張していた。外国人旅行者は、“如何に安く旅行をするか?”を競っている感はあるが、見た目を気にする様子はない。これは、日本人特有の傾向と言えるのではないだろうか?

 私が思うに、日本人旅行者は、自分の殻に閉じこもりがちだ。その理由は、英語が話せないことにあるが、せっかく外国に来たのだから、日本人だけではなく、国際人として多くの外国人と触れ合うことが大切なように思う。

 その後、私を含む三人で、日本人が経営するゲストハウス「久美子の家」に行ってみる。久美子さんの印象は、とても芯が強いように思える。しかし、子供の話になると、やはりお母さんといった感じだった。とても良い人だ。

 久美子の家を出たのが、午後6時半、リクシャーに乗りカント駅に行くつもりが、橋近くのカーシー駅に連れていかれた。仕方がないので、別のリクシャーに乗り換え、カント駅に向かった。駅に着いて、魚のフライとオムレツを食べ。トマト3つとビスケットを買い、映画を観ようとしたが、開演が午後9時だというので、いったんホテルに帰ることにする。ホテルに着いたのが、午後8時20分。お腹が空いたため、さっき買ったトマトとビスケット、フライドライスにブラックティーを飲食した。シャワーを浴びると、午後9時を回ったため、映画を観ることは諦めた。明日は、再びガンガーに沐浴を見に行き、午後2時出発の汽車でデリーに向かう。

(第五話につづく)

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