インド旅行(カルカッタ~ラクソール編)第二話

インド(カルカッタ~ラクソール編)第二話

 私が何を言いたいかは、インド人の中にも良い奴と悪い奴が、当然いるということだ。海外旅行をしていると、クスリの売人やら旅行者をだまそうとする奴が、必ず近寄って来る。デイビットはその良し悪しを直感で見抜いたのかもしれない。インド人の中にもハシシを吸う奴、ツーリストをだます奴は、悪い人と思っている人々がいるという事を、読者には肝に銘じて置いてほしい。どうしても、こういう悪い奴が、旅行をしていると目立ってしまうが・・・。

 明日は、いよいよ北上してパトナー、ヴァイシャリーに行く予定だ。南下するデイビットと、別れるのはつらいが、これも旅行の一つである「別れもあれば、出会いもある」ということだ。

 翌朝、9時に起きる。昨日の疲れからか?随分寝ていたようだ。デイビットは、まだ寝ている。旅行において一番大切なのは、睡眠である。一日の疲れを癒すには、寝るのが一番だ。シャワーを浴びようとすると、デイビットが起きてきた。午前10時、チェックアウトしに2階に上がると、外国人の女性に声を掛けられた。「このホテルはどうか?」と言うので「良いよ!」と答える。彼女も、デイビットと同じアイルランド人で、どうやらこのホテルに泊まるらしい。彼女と話しているとデイビットも2階に上がってきた。二人は同郷ということもあって、デイビットも彼女と話し始めた。フロントに50パイサで荷物を預かってもらい、三人で朝食を食べに出かける。

 彼女は、デリー、カトマンズ、カルカッタと、インド北西部からやって来たらしい。私は、レストランでビックティー、スクランブルエッグとカードを頼んで食べた。三人でレストランを出て、デイビットとは、インフォメーションで待ち合わせをし、私はポストオフィスに、二人はインフォメーションに向う。ポストオフィスは、少し迷ったがパークストリート沿いにあり、日本までのハガキの料金として、一枚につき4ルピー取られた。

 インフォメーションに行くと、デイビットが待っていた。彼女とは、別れたらしい。旅において、もう一つ大切なことは、一緒に行動してもお互い干渉しないことだ。お金の貸し借りについても、例え1ルピーでもけじめをつけなくてはならない。デイビットと二人、その後、冷やかし交じりのショッピングに行く。途中、インド女性で店内一杯の貴金属販売店に入ってみる。金の指輪が700ルピー(日本円で2万1千円)で売られていた。お土産で何か買っても良かったが、この店では、トラベラーズチェックが使えなかったため諦めた。その後、朝食を取った同じレストランで、エッグカリー、パン、チャイを頼んで食べる。レストランを出て、カルカッタの問屋街、「ボロバザル」に行く。ここは、国内消費者向けの品が多いが、おそらくインド内のどこよりも、品物が、一番安いと言うことだ。デイビットは、今夜、列車内で過ごすため、お酒のボトルを探しているようだった。1~2時間ぶらぶらして、デイビットは、ある薬局でやっとボトルを買った。

 午後6時、デイビットと二人で晩飯を食べに行く。朝食と昼食を取った同じレストランに行き、カルカッタ最後の食事ということで、奮発してチキンカリーを頼もうと思ったが、残念ながら、この店のメニューには、チキンカリーは無かった。デイビットとは、これで最後かもしれないと思い、私は、思わず感傷的になったが、彼は相変わらず陽気であった。彼は、この後も、世界を旅して回るらしかったが、このインド旅行で、最初に、彼と出会えたことは、とても幸運だった。彼から学んだことはとても多い。午後6時半、いったんホテルに戻り、荷物を受け取った彼は、チョンギリー通りからハウラー駅に向かうバスに乗り、私に「Good Luck!」と言い残して、あっけなく行ってしまった。彼とは、ボンベイあたりで、また出会えたら良いが・・・。

 パトナー行きの汽車が、ハウラー駅から午後8時50分発だったので、時間がまだあると思い、ホテルのロビーで待っていると、私の元に一人の日本人がやって来た。彼は、大学生で、まだ、2年生らしい。大学を1年休学して、これからヨーロッパの方に行くらしかった。過去の自分を見ているようで、後先の事を考えず、旅行に憑りつかれていた自分を思い出す。彼と意気投合して話していると、もう、午後8時になってしまった。急いでホテルのフロントの係員に挨拶をして、ハウラー駅に向かった。午後8時50分ちょうど駅に到着、走って行って汽車に飛び乗る。

 間一髪セーフだったが、どうやらコーチを間違えたらしい、各々のコーチは、仕切られており次の駅に着くまで別のコーチに移ることはできなかった。待つこと1時間半、汽車が駅で停車したので、別のコーチに乗ると、「ここは違うから別のコーチに乗れ」と言われる。更に1時間待って次の駅でコーチを移ると、「ここも違うから別のコーチに移れ」と言われる。頭に来たので怒鳴ってしまったが、後で反省する。絶対に怒ってはいけない。怒ると相手もこっちの言い分を、けっして聞いてはくれない。次の駅までさらに待つ、深夜12時過ぎやっとのことで私のコーチに乗るが「もう寝るところは無い」と言われる。よくよく聞いたら、ハウラー駅を過ぎると予約のシートは無くなるらしい。仕方がないので、通路の床にシートを敷き寝ることにする。私は、こういうのは、以前の旅でも経験しているので、足が延ばせるだけでも良いと思った。

 汽車は、パトナーに午前7時40分到着する。ここからヴァイシャリーに、バスを使って向かうことにしたが、バス乗り場であるハーディング・パーク・バススタンドが、どうしても分からず、仕方なくリクシャーを利用して、バス乗り場に向かうことにした。リクシャーに乗って5分位したら変な路地に入って行くので、「どこへ行くつもりだ」と言うと、リクシャーのおやじは、「ヴァイシャリー行きのバスは、午前11時にならないと来ないから、荷物を預けて市街を回ってやる」と言う。明らかに嘘である。荷物を預けたら最後、荷物を盗まれ、まったく分からない所で降ろされ、お金をふんだくられるのが落ちだ。私は「何度もバススタンドに行け!」と言った。

 バススタンドは、ほんの歩いて10分の所にあった。屋台でチャイを飲む。チャイ一杯1ルピーは、高かったが、そこのおやじに、ヴァイシャリー行きのバスは、どれかを教えてもらい、午前10時30分、バスに乗り、ヴァイシャリーに向かう。昨夜は、汽車の通路で寝たためか、あまりよく眠れなかったので、バスの中でウトウトしてしまった。バスは、木々が密集したジャングルの中、一本しかない道を通って行く。

 約3時間半後、ここがヴァイシャリーだという所で、バスから降ろされた。まったくの田舎で、人口は、300人といった農村である。ツーリスト・センターに行く前に、屋台で50パイサのチャイを飲む。ここヴァイシャリーでは、ツーリスト用の宿泊所は、ただ一ヵ所ツーリスト・センター内にあるTourist Rest Houseしかない。シングル部屋で15ルピー(日本円で当時450円)、晩飯が、5.5ルピーである。ここには、レストランもないので、あらかじめ晩飯を頼んでおくしかない。日本人がここを訪れることが多いらしい。「日本人か?」と何度も現地人に聞かれた。部屋に入ってシャワーを浴びる。冷たい水しか出なかったが、気持ちよかった。午後3時、リクシャーに乗り15ルピーで村を1周することにする。午後6時に晩飯を頼んでいたため「あと3時間で頼む」と言ったが、リクシャーの男は「村を3時間で回るのは無理だ」と言った。

 ブッダ在世当時の北インドには、マガダ、コーサラをはじめ16大国があったという。ヴァイシャリーは、そのうちの一つであるリッチャヴィ族の首都として繁栄した都市であった。ブッダは何度もこの都を訪れて説法した。ブッダが、貴重な足跡を残し、その死後、第2回の結集(経典編集のための集会)が開かれたこの地には、そのシンボルとしてアショーカ王の石柱が今も高々と天空に直立している。

 今のヴァイシャリーは、閑静な農村である。村の様子は、牛の糞を手でこね、それを板状にして山積みにしていたり、女性が二人がかりで臼を、木の棒でついていたり、日本でいえば、江戸時代前の光景が見られた。人々は優しく、子供たちは「ナマステ」と挨拶をする。外国人が珍しいらしい、私が乗ったリクシャーの後を、子供たちが、走ってついて来る。今日は、2月3日、インドでは祝日にあたるらしい、何かのお祭りをやっていた。リクシャーを降りて、それを見ていると、老人に椅子を差し出され、「座れ!」と言われる。次にバナナとりんご、にんじん、米のお菓子などを、紙の上に載せて出された。私は、残しては失礼だと思い、全部食べた。バナナは旨かったが、生のにんじんには参ってしまった。リクシャーに乗り、別の村に行ってみると、その村でも同じ様なもてなしを受けた。ある青年とは、「インドはガンジーが、首相だが、日本は誰が首相だ?」とか「ここは、ブッダが生まれた地であり遺跡がある」など長々と約15分間一方的に話された。

 同席の汽車の中でもそうだったが、英語が話せるインテリ層は、とにかくよくしゃべる。何かの本で読んだが、インドでは英語を話す人は少なく、インテリ層は、その機会があると、普段話せない分話をするらしい。別の家に行くと、そこでも先ほどと同じもてなしを受けた。流石に三度目となると、生のにんじんは残してしまった。

 ツーリスト・レスト・ハウスに帰ったのが午後5時45分、部屋に入って待っていると、6時ちょうどに、晩飯を持ってきた。電気が付かないため、暗い中、食べることができずにいると、小さい女の子が、ローソクに火をつけて持ってきた。電気がどうやら通っていないらしい。いや、通っているかもしれないが、節約のためのローソクらしい。

 次の目的地ネパールの首都、カトマンズに行くためには、ここヴァイシャリーからは、直通バスは、無い。乗り継ぎが面倒なので、パトナーに再び戻り、そこからカトマンズ行きの直通バスに乗ることにする。昨日の疲れと明日のパトナー行きのバスが、午前6時30分と朝早かったので、今夜は、早く寝ることにした。外では、お祭りのための音楽と鼓笛の音が、聞こえていた。午前1時、突然目が覚める。「もしも、私が、ここで誰かに殺されても、家族や友人は、私の行方は、誰一人として分からはいだろうなぁ」と思い、全身が、えも言わず孤独感に襲われた。いよいよ明日は、この旅の目的の一つである、あの植村直己さんが、旅したネパールのカトマンズに向かう。

 翌朝、6時に起き、6時40分のパトナー行きのバスに乗った。途中、2時間ほどすると、バスを降ろされ、別のバスに乗り継ぎ、午前10時、パトナーに再び戻ってきた。昨日チャイを飲んだ同じ屋台に行ってみる。また同じように、おやじにチャイを頼み、「カトマンズ行きのバスはどれか?」と尋ねると、まだらしいので、屋台で日記をつけながら待つことにする。すると午前10時半、突然バスがやって来た。バスに乗り、途中までヴァイシャリー行きの同じ道をバスは進んで行く。そして、午後2時半ごろ、どこか分からないところで降ろされた。しばらくすると、誰かが「ラクソール!」と叫んでいるのを聞いたので、そのバスに乗る。

 後ろの方の席に座ると、二人連れのネパール人らしき人が、私の隣に座っていた。何故、彼らが、ネパール人と分かるかというと、ネパール人の男性は、特徴のある帽子をかぶっているからである。彼らも、ネパールと国境近くのラクソールに行くらしい。バスは延々5時間ほどかかり、やっとラクソールに到着した。

 途中、休憩で、乗客の皆が、バスから降り、男たちが一列に並び、いっせいに道端で立ち小便する光景は、バスに中から見ていて、コメディー映画のようで笑ってしまった。

 ラクソールでは、バスで知り合いになったネパール人と共にバスを降りると、リクシャーのインド人たちが、大勢集まってきた。彼らは、何とか自分を指名してもらいたいため、私に日本語で話しかけてくる。そんなリクシャーたちを何とか二人ずれのネパール人が、追い払ってくれた。

 そして、ある一つのリクシャーに乗り、インド側のイミグレーションに向かう。ネパール人ふたりとは、彼らが、ネパール側のバススタンドに向かったため別れた。その後、私もリクシャーに乗りバススタンドに向かうが、その途中、どこかでお気に入りの毛糸のキャップ帽子を失くしたことに気づいた。今日は、12時間バスに乗りっぱなしだったため、疲れていたせいもあるが、注意力を無くしていたことに反省をする。何とかバススタンドの場所を探し、リクシャーに乗って私も国境を越えた。

 ネパール側のイミグレーションに行くと「ネパールのビザは持っていないのか?」と係官に聞かれたので、私は、「持っていない」と答える。すると、その係官に「写真と150ルピーを出せ!」と言われ、その場でビザを作ってもらった。150ルピー(日本円で当時4,500円)は、痛かったが仕方がない。お金が無くなったので、闇で20ドルを1ドル20.7ネパール・ルピーと交換する。レートが分からないため、高いのか?安いのか?分からない。そこでバスの出発時間を聞くと「午後9時だ」と言われ安心する。別れたネパール人は「午後8時だ」と言っていた。何とか8時50分にバススタンドに到着したが、「バスはどれか?」と聞くと「バスはもう無い」と言う。まったく今日は、ついてない。「これも旅行に付きもののハプニングの一つである」と自分に言い聞かせる。仕方がないので、先ずは、腹ごしらえをしようと、とある通りのレストランに入った。

(第三話につづく)

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