インド旅行(ラクソール~カトマンズ編)第三話

インド・ネパール(ラクソール~カトマンズ編)第三話

 今日は、バナナ3本とチャイを1杯しか食事していない。どうりで腹が減るはずである。適当に入ったレストランで、カリーとライスを食べながら「今夜は、どこで泊まろうか?」と思っていた時、突然、私の腕を誰かにつかまれた。ふと顔を上げると、そこにバスで知り合ったネパール人二人がいた。どうやら、私のことを偶然見つけたらしい。お互い英語があまり話せないため、よく理解はできなかったが、話しぶりから私のことを心配していたということである。「なんて良い人たちなのだろう!」今日は、二人もここラクソールに泊まるということなので、彼らに付いて行き、一人15ルピーの宿に、三人で泊まることにした。私としては、今夜の宿探しをしなくてよかったので大変助かった。

 それにしても、今日は、誰を信じたら良いのか分からない一日であった。リクシャーの奴の言うことを信じたら、夜行バスに乗り遅れたり、ある奴は、事もあろうに「無くした帽子を、バスで同席のネパール人が、持っていた」と言ったり、リクシャーの言うことを信じてはいけない。彼らは、お金のためなら平気で噓を付く。

 一人旅の場合、誰かに頼ることは、失敗を招く。すべての事を自分一人で考え行動しなければならない。不便ではあるが、そこが、一人旅の気軽さであり、自由さであると共に醍醐味でもある。明日は、午前6時30分発のバスで、ネパールの首都カトマンズに向かう。

 翌朝、6時に目が覚める。私は、歯を磨く暇も無なく、ネパール人二人に連れられて、バススタンドにやって来た。二人に政府が運営しているバスの方が早いから、それでカトマンズに行くように言われる。料金は、カトマンズまで55ルピーだった。親切なネパール人ふたりとはそこで別れ、バスに乗ったが、バスの中では、人がいっぱいで座る座席は無く、仕方がないので、通路に置かれた硬い板の椅子に座る。休憩で3回ほど休んだが、最後の方では、椅子の硬さでお尻が痛くなり、ドカジャンをお尻の下に敷き何とかしのいだ。途中、ヒマラヤの山々が見えてきて、写真でしか見たことがない景色が現れる。日本の明治時代、いや、それ以前の農村の風景が見られた。家はかやぶき、人々は泥だらけ、子供たちは裸である。

 午後2時ごろ、バスは、ネパールの首都カトマンズに到着した。先ずは、ツーリストオフィスを探し、安宿のありかを聞く。通りを歩いていて、ある男に「チェンジ マネー!」と声を掛けられたので、そいつに「安いホテルはないか?」と聞くと「あるからついて来い」と言う。男についていくとシングルで30ルピーのホテルだった。私が「15ルピー(日本円で当時450円)でどうか?」と言うと最初は「駄目だ」と言っていたが、私が、帰ろうとすると結局「良いから」と言い、商談が成立した。部屋はホテルとは言えたものではなく、薄暗く、ほこりっぽかったが、ただ寝るためにお金をかけるのはもったいない。荷物を部屋に置き、市街を散策することにする。呼び込みの男は、まだついてきていた。その男が、安いと言うレストランでチャイを飲んでいたが、男がまだこれからも、私についてきそうだったので、いったんホテルに帰り、シャワーを浴びることにした。

 午後3時、再び市街に出てみる。その頃には、呼び込みの男はいなくなっていた。ネパール人の印象は、インド人と比べてとても“親切だ“と言える。表情が柔和であり、笑いかけると笑顔が返ってくる。午後6時、レストランでカリーとライス、チャイ(合計5ルピー)を飲食していると、日本人らしき男女二人が、レストランに入ってきた。話しかけてみると東京から来た男子学生と大阪から来た若い女性だった。二人は、最初、私を見たとき怪訝そうな様子を見せた。それもそのはずである。私の格好と言ったら、10日間一度も洗っていないジーンズにシャツ、お世辞にもきれいと言えない格好だったからだ。かろうじて眼鏡をかけているため、日本人に見えるといった程度だ。何か怪しい人に見えたのだろう、二人は、そそくさと私から離れていった。

 翌朝、9時半に起き、今日一日のスケジュールを考えてみた。まずは、ホテルのフロントに行き、もう一泊することを言い、その後、ツーリストオフィスで、明日のネパール第二の都市ポカラ行きのバスのことを聞く。次にポストオフィスに行き、はがきを出し、最後に、東京で知り合った知人である斎藤さんの友人を訪ねることする。

 午前10時、部屋を出る。フロントでお金を払おうとしたが「後でもう一度来てくれ」と言われ、その時に「ポカラに行きたい」と言ったら、フロントの係員に「夜8時に、ポカラ行きのバスがある」と言われた。その後、ツーリストオフィスに行って、聞いてみると「夜行バスはない」と言われた。どちらを信用して良いのか分からなかったが、どっちみちバススタンドに行き、明日のポカラ行きの切符を買えばわかると思った。

 朝食を食べようと昨夜訪れた、美味いコーヒー店に行ってみたが、まだ開いていなかった。仕方がないので、昨日別に目をつけていたレストランに行ってみる。チャイを頼んだが、メニューに無いと言われたので、5ルピーのカリーとライスを注文して食べた。その後、どうしてもチャイが飲みたかったので、別の店に入ってチャイを飲む。飲んでいてまだお腹が空いているのに気付き、揚げパン2つを頼み食べた。その後、ポストオフィスに行き、3枚のハガキを出す。1枚につき4ルピーの料金が掛かった。次に「バススタンドはどこか?」と警官に尋ねて行ってみるが、まったく別の方向を教えられた。なんとかバススタンドを探し、明日の午後8時のポカラ行きの切符を買う。片道44ルピー掛かった。どうやらツーリストオフィスは、今日の夜行バスのことを言っていたのだろう。その次に、再び、ツーリストオフィスに戻り、斎藤さんのネパール人の友人の住所を聞くと、割と近くにその場所があった。

 午後1時頃、その住所を尋ねてみると、その人は、ちょうど店に居て、斎藤さんの名前を言うと、快く2階に通された。斎藤さんの友人であるネパール人の名前は、スガットさんと言う。彼は、1984年に日本に来たことがあり、その時に斎藤さんと知り合ったらしい。日本語は片言であるが話せる。日本に滞在していた時の写真を持ってきて、昔話をしてくれた。それと私に「どこか行きたいところはないか?」と聞き「もう一人友人を紹介したい」と言ってくれた。その友人に「電話してみる」と言うので待っていると、「友人は、今、ポカラに行っていてまだ帰ってきていない」との事だった。そこで「午後5時にもう一度訪ねてくれないか?」ここカトマンズで、今流行っているのか?タイの揚げパン「パートンコーを三人で食べよう」と誘われ、午後5時に、再び来る約束をして、一旦、スガットさんとは、そこで別れた。

 約束の時間の午後5時までは、2~3時間あったので、時間をつぶすため、近くの公園に行って日記を書くことにする。芝生に寝転がって日記を書いていると、浮浪者がやってきて話しかけられた。こっちも暇だったため、体よくあしらっていると「食べ物がタダでくれて、寝るところもタダの政府がやっているところがあるが、知っているか?」と言い出した。私が「どこにあるのか?」と言うと「近くだ」「そこは、とても危険なところで、俺も2週間ほど過ごしたことがある」と言う。なんでも女やマリファナが、簡単に手に入るらしい。そこで、私は、その浮浪者について行くことにした。10分位歩いてそいつが連れて行ってくれた所は、なんと“刑務所”だった。確かに言われてみれば、納得である。

 鉄格子の中に、一人の白人男性が入っていて、外の外国人二人と何やら話していた。私が、その二人に「どうしたんだ?」と聞くと、二人は、私のことをネパール人か何かと間違えたらしく、怪訝そうな顔をした。私が、浮浪者に、理由を聞くと「マリファナか何かを持っていたらしい」と言う。

 その後、浮浪者に別の棟に連れて行ってもらう。「ここは、もっと危険なところで、入ったら最低10週間は出てこられないし、殺されかねない」と言う。なんでも日本人が、今この中に三人いるらしい。マリファナは、5g程度のものだったら問題ないが、500g以上持っていて見つかった場合、刑務所に入れられるらしい。以前、何かのアメリカ映画で観た世界がそこにあった。外国人は、ハシシやマリファナが、簡単に手に入るので安易に考え、それを持っていると、裁判も無しに刑務所に何週間も入れられる。保釈金は、日本円でなんでも15万円ほど取られるらしい。15万円は、こっちでは大金で、外国にいる旅行者には、なかなか手に入らない。

 レストランに行くのだから、一応身だしなみを整えておかなければいけないと思い、一旦、ホテルに帰って、髪を洗った。午後5時になったので、スガットさんの店へ行ってみると、彼が、ちょうど店から出てくるところで、呼び止められ、もう一人の友人のところに案内すると言う。彼の友人は、カトマンズから車で5分ほど行った旧市街に居るらしい。途中、いろいろな寺院やバザールを観て、友人のところに行ってみると、その人は、お店を開いており、店を閉めるにはまだ早かったらしく、午後8時30分にもう一度会い、レストランで一緒に晩飯を食べようということになった。そこで、私のホテルまでスガットさんに車で送ってもらい、ホテルの前で待ち合わせをすることにする。

 1時間ほどホテルの部屋で過ごし、時間が来たのでホテルの前で待っていると、スガットさんが、もう一人別の友人を連れて三人でやって来た。「何を食べるのか?」と私が、聞くと中華料理を食べるらしい。ホテル近くの中華料理店に4人で入り、持参のウイスキーとケーキ、それに頼んだチャーハン、ラーメン、春巻き、ギョーザ、それと焼きそばを食べる。話は弾んだ。三人は、学校が同じで仲が良いらしい。

 スガットさんたちと別れ、ホテルの部屋に帰ってきたのは、午後10時過ぎだった。それにしても、体中がかゆい。何かの虫にかまれたらしい。以前、東京の友人がなっていた症状に似ているため、何らかのジンマシンではないと思われる。デリーに行ったら、少し良いホテルに泊まって、服の洗濯と体を丹念に洗いたいと思う。

 翌朝、9時15分に起きる。今日は、スガットさんが、カトマンズの旧市街、バクタプールに連れて行ってくれるということである。午前10時15分、ホテルの前で待っていたら、時間どおり彼がやって来た。一旦、彼の店に行き、私のバックパックを預かってもらう。彼の両親に挨拶をしたが、お袋さんは、とても優しそうな人であった。

 バクタプールからヒマラヤの山々を観ることができるらしい。バクタプールは、カトマンズから東へ約12キロの距離にあり、トロリーバスに乗って、30分ほどで行くことができる。行ってみると、思ったほどヒマラヤ山脈にそんなに近くはなかったが、レンガ造りの昔ながらの建物が多く、私が、イメージしていた通りのカトマンズがそこにあった。あまり観光地化されていないためか、外国人の姿は見られない。また、人々の顔は、インド系ではなく中国系であり、非常に静かでのんびりした町である。

 古い寺院があるということなのでそこに行き、3ルピーを払い博物館に入ってみた。実は、博物館にはあまり興味はなかったが、スガットさんがせっかく連れてきてくれたので、断りづらかった。その後、彼が、「午後1時から仕事があるため、帰らないといけない」と言うので、近くのレストランで彼はコーラ、私はチャイを飲む。ここで、彼にクロスカッティングの機械のパンフレットを送ってくれるよう頼まれた。因みにスガットさんの職業は、服の仕立てである。私は、東京にはこの旅行のあと1~2泊したのち、郷里高知に帰るため、その機械のパンフレットがみつかるかどうか分からないが、できるだけの事はしてみようと思った。しかし、東京に帰ってからは、引っ越し、研修、就職と慌ただしく、スガットさんの事をすっかり忘れてしまい、パンフレットを送れなかったことは、本当に申し訳なかったと思う。

 バクタプールから今度は、ミニバスでカトマンズに帰ることにする。カトマンズのバススタンド近くに着いたのは、すでに午後1時を回っていた。スガットさんには、私のために昨日と今日、大変お世話になった。彼は、「近々、日本に行く」と言うので、その時は、是非とも高知に来てくれるように言って、スガットさんとは、ここで別れた。

 その後、ナラヤンヒティ宮殿に行ってみる。ここは、昨年(1986年)ハヌマンドーカ宮殿に代わる宮殿として建築され、2008年に王政廃止になるまでネパール王が住んでいた所だ。

 ネパール第二の都市、ポカラ行きのバスが出発する午後8時までにはだいぶ時間があったので、午後2時30分、昨日行ったレストランに昼食を食べに行く。チキンカリーとライス(8ルピー)を食べ、少し物足りなかったので、市場に行き、揚げパン2つとチャイを一杯(合計3ルピー)飲食した。着るものといえば、汚れた服を一着しか持っていなかったため、市場で白い半そでのシャツを30ルピー(日本円で当時900円)で買う。

 その後、時間つぶしに、公園で座って日記をつけたり、ピーナッツを食べたり、市街をぶらぶらしていると、ニューロード突き当りの広場で、日本人と見られる中年男性が、4~5人の土産物屋の男たちに囲まれ、言い寄られて困っている姿は、見ていて思わず笑ってしまった。日本人旅行者は、まだ、ここカトマンズには少ないように思える。

 今日一日は、本当にのんびりした一日であった。私としては、退屈な一日と言ってもいいが、どうもせっかちなせいか?私の性格上、同じところに3日と居られない。だが、あの植村直己さんが、エベレスト登頂のため訪れた、ここカトマンズの空気を吸えたことに非常に満足している。

 午後7時、バススタンドに行く。まだ、時間に余裕があったので、屋台でチャイを飲む。30分ほどしてポリスにバスの切符を見せ「ポカラ行きのバスはどれか?」と尋ねたら、何やらバスの係員と思われる者と話し始めた。5分位して係員が、私に言った「バスは無い」と、私が「何故か?」と言うと「こっちの間違いだ」「明日の朝、もう一度来てくれ」と言う。どうやら今日の土曜日は、休日の運行の時刻表にあたり、夜行バスは、運休と思われる。仕方がない、明日もう一度来て確かめるしかない。

 こういったことは、海外旅行中は、日常茶飯事である。諦めて、今夜泊まるホテルを探しに行く。一昨日見かけた、シングル80ルピーの良さそうなホテルを探すが、外が暗闇のためなかなか見つからない。そのうちお腹が、痛くなってきた。どうやら下痢になったらしい。私も“人並みの体”であったことが証明された訳だ!今、考えるとバスの中でこの状態になっていたら、どんなにか苦しかっただろうと思う。やはり、旅行先が、インド、ネパールなのだから、水には気を付けなければいけない。そんなことを考えながら通りを歩いていると、ある男に声を掛けられた。ドミトリーで25ルピーのちょっと高めのホテルだったが、お腹が痛いのと、部屋が、割と綺麗だったので、泊まることに決めた。早速、トイレに入り、シャワーを浴び、ジーンズを洗濯して、午後10時、用心のため早めに床に就いた。

 翌朝、9時30分に起きる。腹の具合は良くなったが、まだ、少し下痢気味だ。シャワーを浴び、荷造りをし、ボトルに水を入れ、バックパックをフロントに預けてホテルを出た。

 まず、バススタンドに行き、今日のポカラ行きのバスがあるかどうかを確かめる。バスのオフィスは閉まっており、玄関前に座っている係員に切符を見せて聞くと、今日は、ポカラ行きのバスが、あるかは分からないらしい。オフィスが開くのを待っていると、二人連れの外国人がやって来た。その二人にどこに行くのか尋ねたら「ポカラに行く」と言う。私が「オフィスは閉まっている」と言ったら、二人は、自信ありげに「心配ない」と言った。彼らの行動を見ていると別のオフィスで切符を買っていた。どこ行きの切符か?を尋ねると、マシラと言う所らしい。どうやら二人は、そこでバスを乗り換えポカラに行くらしい。

 開くかどうか分からないオフィスを待っているより、彼らと同じようにしようと決意し、私もマシラ行きの切符を買った。

(第四話につづく)

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